宮下えりです。
現在、6歳、4歳の男の子のママです。
私は、元々子どもが苦手でした。苦手というか・・・
あんまり関わったことがないから、わからなかったんです。
子どもがよくわからないまま、母親になりました。
生まれた時はもう本当に「尊い」の一言で、命をかけて守るぞ!って
本気で思えた瞬間でした。
それまでは結構自分大好きだったのでw誰かのために命張るとか
考えたこともなかったんですが、子どもの顔を見た瞬間
一番に湧き上がってきた感情と言っても過言ではないほど
尊くて、可愛くて、大切で、守りたくて、、、なんとも言えない母性が
ドバドバ〜〜〜っと溢れた感じでした。
初めての育児は知らないことだらけ、不安なことだらけで
検索魔になり、育児ノイローゼになっていきました。
「知らない」ってこんなにも不安なんだ。って初めて感じました。
結構「なんとかなるっしょ!」って精神で生きてきたので
私にもこんな感情があるんだって初めて知りました。
可愛い可愛いで長男を育てながら10ヶ月の頃
第二子の妊娠が発覚!もう嬉しくてたまりませんでした!!
しかも順調にいけば、ちょうど長男の育休終わりで復帰して
有給消化だけして出勤ほぼなしで、第二子の産休に入れる!
超絶妙なタイミングで、
私の人生順風満帆♪大好きな仕事への復帰はちょっとお預け〜
って思っていたんです。
そして、16週を迎え、12月末頃、安産祈願を終え、
年明けに検診に行きました。
「ちょっと小さめだけど元気だよー!!」と
一緒に年越しができたことを喜んで3日後に4Dエコーの予約を⭐︎
女の子だと思う!とも言われ、どんなお顔が見られるのか
楽しみでした♪
ところが・・・・
その三日後の妊娠19週5日
4Dエコーでお顔が見られる〜っとルンルンで向かった私と主人
その時に・・・言われたことは・・・
「赤ちゃんの心拍が確認できません。」
私は何を言われたのか、理解することができませんでした。
なんで?なんで・・・?
3日前まではあんなに元気に動いていたのに…
たった3日で何があったの・・・?
産婦人科でみんな幸せそうなママたちがいる中、
隔離部屋に呼ばれて、死産のための手続き・・・
たった1.7%の確率です。
妊産婦が着るのはピンクのパジャマ・・・
私はブルーでした。
おそらく看護師たちがどんな状況の患者なのか見分けるためでしょう
死産とはいえ、立派なお産です。
陣痛を起こして、生まれてくるのを待ちます。
どんどんお腹が痛くなってきて、生理痛より重い痛みになって。。。
「お疲れ様」そう言われて終わったお産は
産声の聞こえない。悲しい悲しいお産でした。
250g 12cmの天使ちゃんでした。
こんなに小さくても、長男の顔と似ているのがわかりました。
本当に本当に一生懸命生きてくれたのが伝わりました。
———–ごめんね————-
その言葉と涙しか出てきませんでした。
死産の原因は「不明」
胎盤検査に出しても不明のままでした。
自分よりも先に子どもをお空に見送るなんて、考えもしなかった
のぼる煙を見上げていたら雪がちらついてきた光景は
今でも忘れられません。
その後の私に待っていたのは・・・
「育休打ち切り」
死産であっても妊娠4ヶ月以上は出産扱い。産後休暇が適応になり
その後は育休取得不可だったのです。
死産後たった8週間で
「復職」か「退職」か決めなければいけませんでした。
大好きな仕事は辞めたくない。
でも、急に子どもとも離れたくない。
ってかそもそもこんな時期に保育園の空きがない。
時短なら?パートなら?
いいえ・・・私の職場では無理でした。
泣く泣く「退職」を選びました。
大好きな「仕事」
最愛の「娘」
手当の「収入」
一気に失うということを経験し
本当に人生のどん底を味わいました。
ただそれだけならば良かったのですが、
私は「心」も失っていました。
外に出れば幸せそうな妊婦さんを睨み
女の子を連れているママを憎み
兄弟を連れているママを羨み
元々美容部員だったので、コスメも買えなくなりました。
もう、、、何もしたくない。
そう思うようになっていたのですが
唯一、私を生かしていたのは「子育てしなくては」という思いだけ。
子どもが笑うためなら生きなきゃ・・・
そんなふうに毎日をやり過ごしていました。
子どもを散歩していると話しかけてくれるおじいちゃん、おばあちゃん。
「かわいいね〜二人目はまだなの?ダメよ〜兄弟は作らなくちゃ」
って言われることもしばしば・・・
本当に・・・ピー(自粛)してやろうかと思いましたよ。
それでもやっぱり生きなきゃいけない。
生活しなきゃいけないんですよね。
できる範囲で働こう。っと思った矢先
コロナが流行り始め、「働きに出る」ということが
叶わなくなりました。
そうこうしていると、次男を授かります。
その頃には少し気持ち的にも落ち着いてきたので
じゃぁ在宅で何かしよう。と
様々な「副業」に取り組んだんです。
メルカリ物販、Amazon物販、BUYMA、アフィリエイト、ライブ配信・・・
ざっと突っ込んだ金額は200万を超えました。
稼げたのは数千円です。
ひどい人は、振り込んだら連絡取れなくなりました。
どんどん人間不信になりましたし、お金ないのに家のお金注ぎ込んじゃっているの
旦那にバレたら大変だし・・・
もう頭がおかしくなりそうでした。
そんなこんなで更なる災難が・・・
「重度の妊娠糖尿病」
即転院、即入院でした・・・
長男は旦那の寝かしつけは吐くほど泣き、
今まで離れたこともなければ、私以外で寝たこともなかったんです。
それなのに早く退院できても10日間の入院・・・
なんとか最短で退院しましたが
インスリン生活。
毎食前、指に針刺して血を出して血糖値計測
お腹に針をさしてインスリン注射
食後、指に針刺して、血糖値計測・・・
そんな生活を半年近く続けました・・・
指もお腹も痛かったけど、何より出費が痛かった。。。
そして、お産は大学病院なので
大部屋で病院食。。。
なのに出産費用バカ高い。。。
一人目はお姫様になれるような産院を選んでいたので
落差で泣きそうでしたw
二人育児は想像以上にキツく、
ガルガル期がひどかった私は
「上の子可愛くない症候群」に陥り
毎日まだ2歳の長男を怒鳴りつける育児をしていました。
虐待です。言葉の虐待。
次男が少し大きくなると、軽くですが手も出るようになってきました。
頭ではそんなことしたくないのに
口や手が勝手に動くんです。
本当に自分が恐ろしくてたまらなかった。
寝顔に何度謝ったかわかりません。
そのせいか長男は少しでも大きな声を聞くと極度に怖がり
「ごめんなさい、ごめんなさい」と焦るようになりました。
このままでは絶対に長男をダメにしちゃう。
そう思っていた私に運命の出会いがありました。
それがsunnysmileの子育てコーチング起業でした。
子育ても学べて、ビジネスにもなるなんて最高じゃないか!!
っと、旦那に内緒でこれまた即決。
決して安い金額ではなかったのですが、
藁にもすがる思いでした。
結果
あの頃の私を本当に褒めたいです!!
学びを初めて3日目、少し声かけを変えただけで
子どもの笑顔が見れて
1週間もする頃には私の怒りもぐ〜〜〜っと下がっていることに気づきました。
もうこれだけでも、出会って良かった!
稼げなくても、これだけ知れて本当に良かった!
って思ったんです。
そこから9ヶ月、私は結構のんびり子育てを楽しみながら
ビジネスの構築をしていきました。
そんな私ですが、言われた通りにやっていただけで
集客初月には旦那の月収を超え、
3ヶ月経つ頃には、今までの投資額を全て回収するほどの収益を達成していました。
今でもめ〜〜〜っちゃ怒るんですけどw
あの頃のわけわからない怒りに支配されているのではなくて
子どもを一人の人として見ることができている上で
しっかりと適切に怒る(叱る)ことができているので
子どもも怒られることへの理解も進んでいると感じられています。
あの時、お空に帰ってしまった娘は
命を持って、私に最高の子育てとビジネスを届けてくれたんだ
と今は解釈できるようになりました^^
大好きな美容の仕事だったけど
今の仕事はそれ以上に自分らしく楽しんで働くことができて
さらにどんどん幅を広げてやりたいことに挑戦できるので
人生を歩み続けることが楽しみで仕方ないです^^
私が楽しんでいる姿やお金を稼ぐ姿を間近で見せることができていて
子どもたちも
「早く大人になって〇〇したい!」
「早く稼いでママを旅行に連れて行ってあげる!」
「稼いだら〇〇を買いたいんだ!」
と夢を見ることができたり、
お金や仕事に興味を持ってくれていて、
働きに出ていたら決して見せることができない姿や考え方を
間近で見せられることも大きな魅力だと思っています!
自分の人生に於いても、起業に踏み切らなければ
触れることのなかったであろう考え方や物の捉え方を学び
彩豊かな人生になっていると実感していて
年齢を重ねるのが楽しみになりました^^